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2009年10月

ブログを引越し

ブログを引越しました。あまりにもしつこいCMが付いてくるので、無料でしかもCMの入らないCAPANのhttp://blog.canpan.info/inakagurasi/にしました。良かったら覗いてみてください。

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山寺(立石寺)に行ってきました

Yamadera Yamadera2 Basyou

 山形県にある立石寺は、通称山寺と呼ばれ、多くの人々から愛されている寺である。芭蕉が、奥の細道紀行の中でも訪れて「しずけさやいわにしみいるせみのこえ」という有名な俳句を詠んだ地としても、つとに知られている。この天台宗の古刹は、修行の場としても知られているようで、岩場があって山登りとしても面白いだろうが、一般登山者の進入を許可していない。

 登山も面白そうだし、寺としても興味があったから訪ねてみたのだが、はっきりいって期待はずれだった。まずは、お寺としての雰囲気がだいなしだという点である。境内のあちこちに食べ物やみやげ物の売店があって、売り子の声が騒々しい。観光客の中にも子どもたちの歓声や泣き声が響き、荘厳な雰囲気には程遠い。お寺というのは、本来心を静かにして内省をする場所なのだが、そんな気にさせてくれないほど喧騒なのである。

 ある程度の観光地化は止むをえないとしても、境内の中だけでも静かにさせてもらいたいものだ。まして、境内の外にあれだけ店があるのだから、中に作る必要はまったくない。観光気分で、子どもたちを連れてくるのも問題だ。子どもたちだって、登って下りてくるまでの一時間半は退屈だろう。大人たちのエゴだ。

 全国各地の名刹古刹を巡るのが好きで、あちこちの神社仏閣を訪れている。今年は身延山と成田山を訪ねた。どちらも半分観光地化しているが、まだお寺さんらしい雰囲気を残している。子どもたちの声もあまり聞かれない。延暦寺と高野山は荘厳な雰囲気があって、とても良かった。季節的なものもあるだろうが、ある程度の静寂さを保ってほしいものだ。お寺さんは心のふるさとでもあるのだから。

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脳のアンチエイジング

 脳科学者茂木健一郎氏が昨日NHKTVで、「脳のアンチエイジング」についての考察をしていた。彼の研究については、あまりにもセンセーショナル過ぎるきらいもあり、いろいろな評価があるようだ。がしかし、ある程度真実を伝えているように思われる。特に、昨日の特集については、おかしなことを言ってないし、なるほどと納得できる内容だった。

 料理や建築設計など各界で大活躍しているご年配の大御所たちにインタビューしたり、その生活ぶりを観察したりして、彼らが何故アンチエイジングの脳であるかを分析していた。脳のMRCT画像を見ても、明らかに脳が萎縮していないのだ。あの年齢でしかも、今も現役の第一線で活躍しているのには、やはり訳があったのだ。

 彼らに共通しているのは、まず身体を動かすこと。それも、日常の細々としたこと、例えば家事や片付けなどを自分ですることだ。さらに、歩くことと立つことも重要だと説く。それも、平らなところばかりでなく、でこぼこの場所や階段などを歩くことが有効らしい。さらに、料理することも脳のアンチエイジングにとてもいいらしい。指先の微妙な動きが脳を活性化する。さらには、料理を総合的にプロデュースするときに、えらく脳を使うらしい。

 さらに、こんなことも言っていた。会話も重要だということだ。特に、いろんな世代の人たちとの会話は脳を活性化するらしい。感性やイマジネーションの違う人たちとの会話は、特に有用だろうと私も思う。私も心がけていることだが、おしゃれも大事だとのこと。年齢に相応しい服装もいいが、若い人たちとの人間関係を築くためには、やはり若い人たちにある程度合わせた服装をすることが求められる。そして、そういうおしゃれ心が若返りを促進するらしい。

 結論から言うと、身体もそうであるが脳もある程度使用していなければ退化するから、常に脳を使うような行動をこころがけなさいということだろう。脳はなるべく楽をしたいらしい。言わば怠け者とも言える。酷使されないように、何かといっては怠けようとする。だから、潜在意識でなるべく便利な生活を指向してしまうらしい。生活文化の発展の中で、電化やオートメ化は、人間の脳を益々駄目にしているから恐ろしい。

 それでは脳のアンチエイジングに有効な生活を送るにはどうしたらいいかというと、あえて不便な生活を選択するということではないだろうか。つまり、便利なものに頼らず、不便さを楽しむという心が必要だということだ。そのために有効なのが、『田舎暮らし』ではないかと思う。平で凹凸のない舗装された道路を歩けば、益々脳は退化するし、便利な器具に囲まれた都会は、脳を使わないで生活できる。ある程度不便な田舎暮らしは、知らず知らずのうちに脳を使う。そして、コミュニティがまだ機能している田舎では、地域での会話も活発だ。脳だけでなく身体のアンチエイジングの為に、是非田舎暮らしを勧めたい。

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あの素晴しい愛をもう一度

 あの素晴しい愛をもう一度という往年の名曲を作った加藤和彦さんが、軽井沢のホテルで自らの命を断ったというニュースは衝撃的でした。かつてのフォークブームがじわじわと再来している中で、惜しい人を失くしてしまったと思う人も多いと思います。輝かしい活躍を称えると共に、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 彼はとてもこだわりの強い人だったといいます。フォークルなどの再結成には難色を示して、同じようなコンセプトは嫌だからと、あくまでも新結成で違う方針での活動を望んだと言います。言ってみれば、そのようなこだわりの強さが精神的な病気に追い込んでしまったといえるかもしれません。彼を自殺というところまで追い詰めた原因は何だったのかは解りませんが、気の毒なことです。

 中高年者のうつ病は、激増していると言われています。そして、自殺者の数は年々増加していますし、今年の自殺者は昨年を上回るペースで増えています。交通事故の死者をはるかに上回る人たちが、自らの命を断つというのは、異常な事態です。何故、そんなにうつ病や自殺者が増えるのか?そしてその最悪ともいえる選択をしてしまう人々を誰も救えなかったのか?悔やまれるところです。

 加藤和彦さんは、都内のマンションに住んでいたとのことです。何度かの結婚も上手くいかずに、離婚して独身だったようです。ひとりぼっちだったのかどうかは解りませんが、孤独感でいっぱいだったのではないかと推測されます。都会のマンションというのは、隣近所との付き合いはまったくないのが普通です。プライバシーが保たれるという長所がある反面、孤独感を高めてしまう住環境です。そして、豊かな自然がない状況は、いっそう心を傷つけます。

 もしも、という前提で話をしますが、彼が田舎に住んで、豊かな自然に囲まれ、隣近所との付き合いがあったとしたら、絶望的な孤独感を感じなくても済んだのではないかという思いにかられます。都会は人を孤独感や不安感に陥らせてしまう空間が多いように感じます。一方、田舎には自然による癒しや支えあうコミュニティに勇気付けられて生活できるフィールドが存在します。

 多くの芸能人や文化人が田舎の暮らしを実践しています。定住しないまでも、交流居住で時々田舎という生活をしています。今でもまだ人の人情や機微を感じられる生活が残る田舎では、傷付いて疲れきった心を癒してくれる場所があることを知っているのです。加藤和彦さんも田舎に移り住んで、あの素晴しい愛をもう一度経験してほしかったものです。

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増加する近隣トラブル

 結論から言うと、近隣トラブルは、なかなか防ぎようがないということです。一旦起きてしまい、裁判や第三者による仲裁が効を奏したとしても、お互いのしこりは残ってしまいます。裁判は、勝っても負けても気持ちの整理はつきません。文化や風習も、考え方も違う人と、狭い空間の中で共に生きるということが、そもそも無理なのではないでしょうか。近隣トラブルが起きないように、細心の注意を払って生活するなんて、耐えられないものです。最近は、自己中心的な人間が増えていますから、益々こういう騒音による近隣トラブルは、激増していますし、これからも増加する一方だと思います。

 そもそも、人間として理想の住み方はどんなものなのでしょうか。防音対策のしっかりした豪華マンション住まいでしょうか?それとも、広々とした敷地に建てられた大邸宅に住む生活なのでしょうか?確かに、そういう住まいであれば、ある程度の近隣トラブルは防ぐことが出来そうです。しかしながら、そんな住み方が出来るのは、ごく限られたセレブの人たちだけでしょう。一般の人々は、願っても叶うものではありません。じゃ、せめて200坪くらいの敷地を買おうと思っても、都会は勿論のこと郊外でさえ、なかなか購入することも出来ません。土地代だけで、3,000万円~5,000万円もかけるのは不可能ですし、もったいないことです。

 人間が理想とする住み方は、『隣の灯りは見えるけれど、声は聞こえない距離を保つ』という住環境だろうと思います。ですから、具体的には隣の家との距離が30メートルくらいあるのが理想ではないかと思われます。実は、その距離感が平和に暮らせる条件ですし、お互いのプライバシーを守りながら、お互いに支えあう最適な距離だということです。昔の田舎集落では、殆どがそんな距離を保って生活していました。それは、そういう距離が一番良いというのを経験から学んでいたのだということです。したがって、近隣トラブルもありませんでしたし、良好なコミュニティを築いて、お互いが支えあって生きてました。

 そもそも人間は、支えあって生きるように本来生まれてきています。ひとりでは生きていけないのです。都会は、あまりにも隣の生活との距離が近すぎてしまい、お互いの音や臭いが許せなくなり、離れよう離れようとする気持ちが高まりました。一方、地方の集落では、適度の距離があるために、繋がりを求める気持ちが高まります。この微妙な距離感こそが、大切だと考えられます。

 最近、都会の方たちが田舎暮らしを指向するのは、潜在意識の中に、こうした意識があるためなのではないかと思えます。実際に、広い里山にポツンと住みたいとか、隣の距離が30メートルから40メートルの距離がある家がないか、といった問合せが激増しています。近隣トラブルでひどい目に遭ってしまいトラウマになってしまった、どうも隣の音が気になってしまい心が休まらない、自然が豊かな場所で子どもを伸び伸びと育てたい、隣近所に気兼ねなくペットを飼いたい、そんな方たちは是非田舎暮らしを検討されては如何でしょうか。ここ白河は、新幹線の駅から車で15分くらいの場所でも、500万円程度で500坪の土地を求めることが可能です。

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近隣騒音トラブル条例?

 東京都国分寺市では、近隣の騒音トラブルに関する条例を制定して、12月1日に施行するとのことです。でも驚くなかれ、通常なら騒音を防止するものだと思いますが、そうではなくて、近隣の騒音に対して、過剰反応するのはいけないという条例であり、加害者保護ともいえるものだからびっくりします。いくら騒音を出していても、生活音だと判定されれば文句も言えないということになってしまいます。勿論、生活騒音に対して、難癖をつけてお金をせびりとろうとする輩に対しては有効ですが、これはあくまでも生活音の一部だと主張すれば、その音に対して何も抗議ができなくなってしまいます。困る人が出ないかと杞憂します。

 そもそも、騒音という概念がいまいち確立していないように思います。騒音と生活音の区別が明確に出来るならば、トラブルには発展しないはずですが、音を出しているほうはあくまでも生活音だと思っていますし、聞くほうの立場からはそう感じれば『騒音』以外の何物でもありません。特に、アパートの薄い壁・天井・床下を通して生活音は漏れてきます。アパートの廊下や階段を歩行するときの音は結構響くものです。ましてや、深夜にハイヒールで歩く音は騒音です。ですから、生活音と言っても場面・時間などにより、立派な騒音になりえるはずです。

 現在、そういった近隣の騒音トラブルによる裁判事例は年々増加を辿る一方だそうです。でも、これは氷山の一角であって、泣き寝入りをしている方はその何千倍にも上ると見られています。今は、生活の多様化や深夜勤務の増加によって、生活時間が違う場合が増えています。昼夜逆転の方たちも多いですし、若者は益々夜更かしをする生活リズムになっています。夫婦・家族の中でさえも生活リズムが違い、お互いに音を気にしながらの生活をしているのですから、隣の音が気にならない筈がありません。最近は、ペットブームによって、犬の鳴き声で悩まされている家庭も増えているようです。

 人間の五感の中で、視覚は目をつぶれば遮断することが出来ます。味覚は口に入れなければいいですし、触覚は触らなければ感じなくてもいいのです。しかしながら、聴覚と嗅覚は、遮断するのがなかなか難しいと言われています。まして、この2感覚は、潜在意識に強く働きかける作用もあって、根本的に我慢するのが困難で、ストレス作用が非常に強いと考えられています。近隣の嫌な音・臭いは余計にストレスとして認識しやすいのです。

 さて、そんな近隣の嫌な音・臭いを防ぐ手立てはあるものでしょうか。都会の生活のように、隣近所との境が壁ひとつという物理的制限があるなかでの対策は無理だと言わざるを得ません。一軒家においても、40~50坪の敷地に建築するのですから、隣との距離もせいぜい1メートルもあればいいほうだと言えます。ですから当然、隣の音や臭いにさらされてしまうという状況になりますし、逆に隣に話し声や音が漏れないように、気を遣いながらの生活を余儀なくさせられるということになります。

さて、話が長くなりましたので、この続きは明日にいたしたいと思います。

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真実のグローバル化

 世界の金融・経済のグローバル化は、急激に進んでおり、日本もその波に飲み込まれている状況にある。リーマンショックによる影響は全世界に広がっているし、先物市場の動向に翻弄されて、原油高穀物高による日本経済の影響は計り知れないものがある。輸出依存体質の日本経済は、円高基調の金融により、さらに失速しかけないし、国際競争力においても低落傾向にある。

 さて、その国際競争力を高めようとの経済団体からの圧力により、雇用派遣法などの改悪がされてしまい、労働者の低賃金化が進められた。そのおかげで、内需が低迷すると同時に失業率の急激な上昇を見るに至った。この年末にかけて、さらに有効求人倍率は低下すると予想されている。いよいよ、日本経済は世界経済のグローバル化により、デフレスパイラルに陥ろうとしているのだ。

 しかし、よく考えてほしい。世界のグローバル化が叫ばれていながら、それは経済・金融の世界にだけ、各国からの圧力がかかっているのである。これでは、不公平であると言わざるを得ない。そもそも、福祉や医療に手厚くしている国においては、企業もその為に応分の負担をしているわけで、医療や福祉に対する拠出をしていない企業だけが、競争力を高く保つのは当然なのだ。

 したがって、各国人民の人権尊重の観点から、医療・福祉における充実のグローバル化を推し進めて、公平な競争力を築くことが求められよう。少なくても、世界の中である程度の医療・福祉の充実を実現している日本が、国連やG20の場において、各国における医療・福祉の充実を訴えていくことが求められているのではないだろうか。

 また、国内における医療・福祉のグローバル化も充実させてほしいものだ。地域医療はまさに崩壊しようとしている。真面目に地域医療の為に努力している医療機関ほど、経営に行き詰っている。厚労省による医療行政の失敗が、重く国民にのしかかっている構図だ。福祉・医療が住んでいる地域によって、差別されるというのは許せないことだ。人口が都市に集中する要因にもなっているように思える。均衡ある国土発展の為にも、真実のグローバル化を実現させたいものだ。

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台風がやってくる!

 大型の台風18号がやってきます。伊勢湾台風と同じような勢力と進路だということで、同じような被害にならないか心配です。なにしろ、現在の気圧が940ヘクトパスカルということですから、強烈な風が予想されます。最大瞬間風速は60mにもなるとの予測です。

 通常なら、秋の台風は進路にあたる海温が低ければ、急激に勢力が衰えるらしいですが、今年の海温は28度もあるので、あまり衰えることなく上陸すると見られています。そうすると、地球温暖化の影響はこんなところにもあると言えます。集中豪雨の被害も海水温度が高いことで大きくなっていると見られていますから、自然災害の大きさは環境破壊からもたらされていると言えます。

 最近の台風被害を見ていると、特徴的だと思うのが、都市型の水害が増加しているという点です。おそらく、都市部においてはコンクリートやアスファルトの地面が多いので、雨を自然吸収しないということと、コンクリートの水路が多いので自然流出が少ない影響があると思われます。地下に飲み込めない大量の水が低い地域に集中して、大変な水害を引き起こすという構図になっていると考えられます。

 また、都市部は樹木や植物が田舎よりも少ないということもあり、熱せられたコンクリートが水分を余計に蒸発させて水蒸気となり上昇し、上空にて雨雲となり大量の雨を降らせるという循環になっているとも言われています。勿論、自動車やエアコンなどによる気温の上昇も影響することでしょう。

 最近、田舎暮らしを希望する人たちの若年令化が進んでいるようです。子育てを自然豊かな田舎でしたいと思う人が増えてきたということなんでしょうが、潜在意識が災害の少ない安全な場所を求めているのかもしれません。今度の台風が、日本列島を直撃しないように、ただ祈るのみです。

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